プロフィール

昭和 29 年(1954 年)
静岡市生まれ 早稲田大学商学部卒
昭和52年(1977年)4月
三鷹市入庁 教育委員会体育課に配属
- 若手職員4人で朝日新聞の懸賞論文に応募し最優秀賞を獲得
- 『太宰治賞』復活の交渉責任者
- 「三鷹の森ジブリ美術館」を誘致した際の交渉責任者
- 「みたか市民プラン 21 会議」の担当責任者
平成 15 年(2003 年)7 月
三鷹市助役(後に副市長)に就任 3期12年間、清原市政を支える
平成 27 年(2015 年)4 月
前回市長選挙で現職から後継者として指名されるも、病により断念
平成 28 年(2016 年)
(公財)三鷹国際交流協会理事長として地域の現場に復帰

主なこれまでの歩み

◆早稲田大学在学中に始めた空手は黒帯(参段、もちろん現在はやっていない)。居合道初段など。三鷹市役所入庁後、市役所に空手部を創設。市民クラブなどを創設した。

◆若手職員4人で、朝日新聞社の懸賞論文に応募し、「最優秀賞」を獲得。論文名は『浮上都市「ラピュタ」の転都論』だった。この受賞をきっかけに、市職員を始め、市民や企業人、農業者、他自治体の職員、学識者なども会員となる勉強会「超都市化問題研究会」を開催する。最盛期には約300人の会員を数えた。初代代表をつとめる。

◆市職員として、市民参加や協働の現場を長く担当する。かつての「コミュニティカルテ」、「まちづくりプラン」を担当する。「三中の建て替えワークショップ」や「丸池の里ワークショップ」、また「みたか市民プラン21会議」なども担当する。

◆市民参加のための『論点データ集』を提案(近隣自治体との比較情報を掲載)。最初の担当者となる。

◆「三鷹国際円卓会議」、「まちづくり研究会(国際基督教大学と共催)」などを提案・実現するとともに、担当責任者となる(現在のネットワーク大学の前身)。

◆都立井の頭恩賜公園内に「三鷹の森ジブリ美術館」を実現した際の担当責任者。

◆安田前市長の命を受けて、筑摩書房が休止していた『太宰治賞』を復活に、最初の担当者として寄与する。

◆平成15年、三鷹市が「インテリジェントシティ」世界一になった際の、アメリカでの最終プレゼンテーターを担当。
その他、数々の事業を手掛ける。

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